休む、離れる、戻ってくる
研究は、のめり込むと何時間でも続けられてしまう性質を持っています。問いを追うのは楽しいし、放っておくと食事も忘れる。ただ、それを毎日続けられるほど、人間の身体と心は都合よくできていません。
休息はご褒美や贅沢ではなく、高いパフォーマンスを維持し、問いを持ち続けるための基盤です。休息が足りていないと、注意力は散漫になり、思考は短絡的になり、創造性は下がります。休まず働く姿勢は一見ストイックですが、実際には自分の可能性を自分で狭めている状態に近い、というのが、ある程度の年数を重ねたいまの実感です。
厄介なのは、疲れているほど、自分が疲れていることに気づきにくいことです。思考の質が下がっているのに、主観的には「頑張れている」と感じてしまう。徹夜明けに書いた文章を翌週読み返すと、論理が飛んでいたり、的外れなことを書いていたりする。疲労は、その渦中にいるときには見えません。だから、定期的に休んで、 ちゃんと休んだ自分 という比較の基準を持っておく必要があります。
休息の質は、長さでは決まらない
十時間ベッドにいてもスマホを触り続けていれば脳は休まりませんし、十五分の散歩で頭がすっきり戻ってくることもあります。
意識しているのは、体、心、頭のどこを緩めるかを分けて考えることです。身体の緊張を緩めるなら、散歩、ストレッチ、軽い運動、風呂。座りっぱなしの研究者にはとくに効きます。心理的な緊張を緩めるなら、深呼吸、気の置けない人との雑談、家族との時間。知的な緊張を緩めるなら、研究と関係のない分野の本、音楽、自然のなかに身を置くこと。専門書を読み続けて頭がささくれ立っているときは、まったく違う領域の文章に触れるほうが回復が早い。
とくに効くのが、頭を研究から離す時間を意識的に作ることです。論文のことを考え続けたまま休憩に入っても、脳はずっと稼働しています。そういう休憩は、量は多くても質が低い。
短い休みと、長い休み
短く何度も挟む休みと、週末や長期休暇で取る休みは、果たす役割が違います。
短いほうは、一日のなかの集中を支える道具です。短い散歩、五分の深呼吸、十分の仮眠、コーヒーを淹れる時間。二時間ほど書いたら一度立ち上がる、というだけで、夕方以降の思考の持ちが変わります。これは「休んでいると思われたくない」という気持ちで省略されがちですが、省略するほど終盤の生産性が落ちます。
長いほうは、研究の枠を超えた経験です。旅行、家族との時間、普段とは違う街の空気、長めの読書、何もしない一日。即効性はありません。その日に効果を実感できる類のものではなく、半年や一年のスパンで振り返ったときに、ここで蓄えた何かが効いていたと気づく種類のものです。
趣味は、別の軸を持つこと
趣味は「研究以外の余暇」というより、研究室や学会という限定的な場とは別の世界を持つ手段です。
楽器を続けている人は、構造やリズムへの感覚が磨かれます。スポーツをしている人は、粘り強さと、うまくいきそうかどうかの勘が育ちます。料理をする人は、段取りと並列処理の腕前が上がります。僕自身、ゲームをしたりライトノベルを読んだりする時間からアイデアをもらうことがよくあります。物語の構造を眺めていて、視点を変える発想が論文の構成にも使えると気づいたり、ゲームのレベルデザインの工夫を学生指導の組み立てに転用できると思ったり。
研究だけを続けていると、思考の枠が固まります。同じ分野の論文ばかり読み、同じ分野の人とばかり話し、同じ言葉づかいを使い続ける。そのなかにいると、自分の視野の境界が見えなくなります。趣味は、その境界の外を一時的にのぞかせてくれる窓です。
もう一つの効用は、成果や効率を問われない時間を持てることです。楽しいから続けている、上達してもしなくてもいい。この遊びのモードは、研究の世界では失われがちです。成果を求めるあまり発想が狭くなり、既知のやり方を繰り返すほうが安全に見えてくる。気づいたときには、机に向かうことが義務感だけになっています。研究の遊び心を取り戻したいときは、研究のなかで頑張るより、別世界の遊びを思い出すほうが早いことがあります。
休むことへの抵抗感
研究室で誰かが遅くまで残っていると、早く帰ることに後ろめたさを感じる。土日にメールを出してくる人がいると、自分も動かないと取り残される気がする。こういう空気は、どの研究室にも多かれ少なかれあります。
ただ、自分のパフォーマンスの波を理解して、休むときにしっかり休めるのは、成熟の証だと思っています。短距離で見栄を張れる人より、長距離で安定して走り続けられる人のほうが、研究では遠くまで行けます。「今週は疲れたので早めに切り上げます」と言える関係を少しずつ築いていくことは、自分のためだけでなく、研究室の文化を健全に保つことにもつながります。
参考までに、僕自身は学生時代から今まで、土日や祝日に研究作業をほとんどしない習慣を守っています。研究者としては珍しい部類かもしれません。平日にしっかり集中して、週末は明確に切り離す。研究はその気になれば無限に時間を吸い込むので、意識的に切れ目を作るほうが、かえって平日の密度が保てる、というのが実感です。
そして、僕も完璧ではありません。日中に三、四時間、動画の沼に沈んでしまう日はいまだにあります。動画から動画へ飛んでいるうちに、気づけば夕方になっている。そこからどう軌道修正するかが、自己管理の核心だと思っています。
研究はスーパーマンのような生活を求めるものではありません。人それぞれにペースがあり、試行錯誤のなかで自分らしいやり方を見つけていく営みです。