「研究者」になるという選択
「研究者になる」と聞いて、最初に浮かぶのはどんなイメージでしょうか。大学の教員、研究所の職員、白衣を着てラボで実験している人、毎日論文を書いている人。どれも研究者の姿のひとつです。ただ、先に強調しておきたいのは、研究者であるかどうかは職業だけでは決まらない、ということです。研究者であるとは、何を問い、どう向き合うかという 態度の選択 でもあります。
学部の卒業研究に取り組んだ瞬間から、あなたはもう研究者と呼ばれうる存在です。修士、博士、そして職業研究者。どの段階にいても、その核は変わりません。違うのは、求められる自律性のレベルと、引き受ける責任の重さと、関わる共同体の広がりです。
学部生としての研究者
卒業研究は、大学教育のなかでもっとも研究者的な態度が問われる場です。自分でテーマを決めて、問いを探し、先行研究を読んで方法を選び、結果をまとめて発表する。規模こそ小さいけれど、まぎれもなく研究者の基本動作そのものです。
このとき効いてくるのが、自分のスタンスをどう設定するかです。「卒業研究という授業を受講している学生」として過ごすのか、それとも「卒業研究を通して研究に取り組む駆け出しの研究者」として自覚を持つのか。表面の活動はほとんど同じに見えても、 この自意識の違いが、学びの深さにかなり大きな差を生みます 。前者は提出物を出すことがゴールになりがちですが、後者は自分の問いとどこまで誠実に向き合えたかを問い続けるようになります。
この時期に得られる最大の財産は、「問いを持つとはどういうことか」を身体感覚として理解できることです。難所もあります。正解のない状況に慣れていないため、迷いや不安が強く出やすい。指導教員との関係性に学びが左右されやすい。これらは多くの学部生が通る道で、あなたが特別不器用なわけではありません。
修士課程における研究者
修士に進むと、研究はもう一段専門的になります。自分の問いを先行研究のなかに位置づけ、他者にとっても意味のある問いへと整えていくプロセスが中心になります。
卒業研究では「自分が面白いと思う問い」を持てればよかったのが、修士では「他人もその問いを面白いと思える理由」を言語化できるかどうかが問われ始めます。なかなかしんどい転換ですが、研究者としての成長で言えば、とりわけ大きな段差のひとつです。
同時に、ゼミや学会で自分の研究を語り、批判を受け、それに応答する経験を積む時期でもあります。難しいのはテーマ設定で、広すぎても狭すぎても破綻します。限られた期間で成果を出さなければというプレッシャーから、焦りも生まれやすい。
博士課程における研究者
博士課程は、研究者としての自己設計が本格的に始まるステージです。問いを立て、方法を選び、成果を発表し、批判を受け、再構築する。このサイクルを自律的に回す力が求められます。修士までは指導教員という伴走者の比重が大きいですが、博士に入ると徐々に「自分の研究を自分でドライブする」性格が強くなります。これは怖さでもあり、自由でもあります。
TA などで教える立場に立つ場面や、他の人の研究にコメントする機会も増えます。受け取る側だけでなく、知的な支援者としての役割も担うようになるということです。
一方で、経済的に不安定で、心理的にも孤独になりやすい。成果主義的な競争にさらされて、他者との比較で疲弊しやすい時期でもあります。博士課程の数年間は研究者としての腰の強さを作る期間ですが、同時にメンタルが揺れやすい期間でもある、というのが正直なところです。進学したあとの過ごし方は、巻末の博士課程とは何かにまとめました。
職業としての研究者
アカデミア、企業、公共研究機関などで、研究を生業として担うフェーズです。ここでは、問いを深めるだけでなく、研究資金、人材、社会との関係を設計する存在になります。研究費を獲得し、後輩を指導し、組織の意思決定に関わる。研究の周辺で動かす変数が一気に増えます。
教育者、管理者、実務者としての顔も増えてくるので、純粋に考える時間をどう確保するかが重要なテーマになります。
四つの段階それぞれに固有の良さと難しさがあり、上の段階のほうが幸せというわけではありません。全体に通底するのは、小さくても自分の問いを持つことが、研究者として生きる最初の一歩だという事実です。
進学を「流れ」で決めない
大学院に進学することは、もはや珍しい選択ではありません。とくに理系では「修士までは行くのが当たり前」という空気の研究室も多く、学部4年の秋には進学前提の学生が多数派、という光景をよく目にします。それ自体は自然な変化ですが、この「当たり前」の前で一度立ち止まってほしいと思っています。
修士課程は、学歴の上積みではなく、 より深く問いに向き合うための時間を2年間まとめて確保する選択 です。卒業研究は、テーマを掴んだ頃に終わってしまうことがほとんどですが、修士の2年間はそこから先の景色が見えます。自分の問いを先行研究のなかに位置づけ、方法を磨き、議論に参加する時間が取れる。この2年で得られる思考の深さは、社会に出たときにも、ぱっと見では分からないけれど決定的な違いとして効いてきます。
博士課程についてはもう少し重い話があります。博士号は肩書きではなく、 自分にしか書けない論文を、自分の手で完成させる訓練の証明書 です。どんな仕事に就いても腐らない種類の経験で、近年は経済支援の制度も少しずつ整ってきました。自分の問いに本気で向き合いたい気持ちがあるなら、挑戦する価値は十分にあります。
ただし、修士から博士に進む場合、「流れで進学する」という発想は危険信号です。博士課程では、自律性、問いの独自性、思考体力、長期的なモチベーションが問われ続けます。入学時点で揃っている必要はありませんが、在学中に育てる覚悟と、育てるための環境が整っているかの見極めは要ります。
また、3年で修了したいと考える人は多いものの、現実には5年、6年かかることも珍しくありません。指導教員との相性、テーマの難易度、ライフイベントなど、自分の意志だけでコントロールできる部分は、実はそれほど大きくない。時間的・経済的・心理的なリスクを自覚したうえで、納得感を持って選ぶことが大事になります。
強調しておきたいのは、進学は逃げ道ではなく探究の選択だということです。就職活動から逃げたいから、社会に出るのが怖いから、なんとなく学生のままでいたいから。こうした動機で進学すると、博士課程の途中でほぼ確実にしんどくなります。「みんなが行くから」ではなく、 「自分は問い続けたいか」 という視点から判断してください。
一本道ではないキャリアの時代に
少し前まで、研究者になるということは、博士課程に進んで大学に職を得て、研究と教育に専念する、という比較的明確な一本道のように語られていました。
いま、そのパスは大きく多様化しています。博士号を取得した後に企業で研究を続ける人。修士修了で研究支援職や開発職に就いて、現場で研究的な仕事をしている人。海外に拠点を持ちながらプロジェクト単位で複数機関を渡り歩く人。常勤ポストを持たずに、いくつかの組織を横断しながら知的活動を続けている人。それぞれに固有の強みと弱みがあり、もはや「正解の道」と言えるものはありません。
この本では、「研究者として生きる」ということを広めに捉えたいと思います。 問いを持ち、その問いに向かって思考と行動を続けていく姿勢を、人生の軸のひとつとして選び取ること 。意識的に広く取っているのは、輪郭を狭く設定すると、現実に研究的な仕事をしている多くの人たちを視界の外に追いやってしまうからです。
キャリアの途中で方向転換したり、分岐したりしながらも、問いを持ち続けることで結果として研究者であり続ける人を、僕はたくさん見てきました。企業研究職からアカデミアに戻る人、フルタイムの研究職ではなくパラレルな実践者として動く人、一時的に研究を完全に離れたあとで再び問いに立ち戻る人。彼らに共通しているのは、ルートそのものを死守したのではなく、 自分のなかの問いを死守した ことです。
研究を続けることを支えるもの
研究は孤独で、不安定で、成果の見えづらい営みです。それでも続けようとする人が後を絶たないのはなぜか。いくつかの世代の研究者を見てきて感じるのは、その根っこに次のような感覚があることです。まだ語られていない世界を、自分の言葉で記述したいという思い。誰かの問いに応答することの喜び。自分の問いが、いつか誰かの人生とつながるかもしれないという、根拠の薄い、けれど確かな希望。
どれも、知識そのものというより、知と関係性に根ざした動機です。研究は孤独な作業のように見えて、実は他者との関係のなかで初めて成立します。
そしてもうひとつ、研究を続けることを支えてくれるのが、自分のことを研究者として見てくれる人がいる、という実感です。仲間、メンター、読者、学生、家族。彼らとの関係のなかで、問い続けている自分を信じられるようになっていく。これは個人の意志の問題というより、関係性のなかで育つ自己像の問題です。だから、研究を続けるためには、研究そのものへの集中だけでなく、それを支える関係をどう育てるかも、長い目で見るとかなり重要な投資になります。