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研究者として生きる

研究者であることは、職業の肩書き以上のものです。どんな問いを大事にするか、困難にどう向き合うか、他者とどう関わるか、時間をどう使うか。これらすべてに、研究者としての姿勢がにじみ出ます。この本の最後の章として、技法ではなく、その姿勢の話を書いておきたいと思います。ここまで扱ってきたことは、表面的にはバラバラのテーマに見えますが、書きながら何度も気づいたのは、それらが結局「同じ一つの姿勢」の違う面だった、ということでした。

問いを手放さない

問いを立てることは、研究者であり続けるための最も基本的な動作です。そしてこの力は、研究テーマを決めるときだけに発動するものではありません。学生の話を聞きながら、その奥にある別の問いに気づく。雑談から、まだ誰も書いていない論文の輪郭を見つける。会議のなかで、他の人が当たり前にしている前提を、ふっと疑ってみる。

研究者として生きるとは、こういう小さな問いを立てる動作を、生活のリズムのなかで続けていくことだと思います。すべての問いを論文にする必要はありません。むしろ、 論文にならない問いの量 こそが、研究者の頭の柔らかさを支えています。

同じことが、「なぜ研究するのか」「どんな研究者でありたいか」という自分への問いにも言えます。この答えは、テーマが変わるたび、ライフステージが変わるたびに書き換わっていきます。大事なのは答えを固めることではなく、問い自体を手放さないことです。5年後の自分が違う答えを出しても構いません。むしろ、5年経っても一字一句変わらないなら、その間あまり動いていないかもしれない、と疑ったほうがいいくらいです。この問いを手放した瞬間から、研究は誰かに渡された宿題のようなものになっていきます。

独自性は、掘った先に出てくる

技法だけで独創的な研究が生まれるわけではありません。書き方が完璧でも、書いている問いがありきたりなら、その論文は分野のなかで埋もれます。

独自性は、誰かと違うことをしようとして出るものではなく、 自分が本当に気になっていることを丁寧に掘った ときに自然に出てくるものだと僕は思っています。流行を追うのと、自分の問いを追うのは、似ているようで違います。流行は、追っている最中は安心できますが、追い終わった瞬間に何も残りません。自分の問いは、追い始めは心細くても、追い続けるほどに自分の輪郭をはっきりさせてくれます。

掘る力を支えるのは、異なる視点を自分のなかで掛け合わせる習慣です。異分野の論文を読む、専門外の人と話す、直感と論理を両方使う。普段読まない分野の本を一冊読むこと、自分の研究と関係ないように見える映画や小説に時間を使うこと。こうした寄り道が、後になって効いてきます。

失敗を引き受ける

リジェクトのメールを開いた瞬間に、自分の能力そのものが否定された気がする。あの感覚は、僕にも今でも残っています。慣れません。でも、慣れないからといって毎回沈み続けるわけにもいかないので、 「自分」と「自分の論文」を切り分けて受け止める 作業を、何度でもやり直すしかないのだと思っています。

論文1本の採否、資金1つの当落、発表1回の出来。これらはどれも大事ですが、研究者人生の長さから見れば、一つ一つは点でしかありません。長い目で見て効いてくるのは、点を線にしていけるかどうかです。リジェクトされた論文を直して別の場所に出し続けることのほうが、最初から通った論文1本より研究者としての厚みを生む場面を、僕は何度も見てきました。

それに、失敗をたくさん経験した研究者ほど、後輩に対して優しくなれます。これは綺麗事ではなくて、自分の失敗の痛みを覚えている人は、他人の失敗の痛みも想像できるからです。失敗は自分一人の蓄積で終わらず、コミュニティの優しさを支える共通の財産にもなります。

一人でやっているわけではない

研究は一人でやっているように見えて、実はずっと誰かと一緒にやっています。指導してくれた先生、議論してくれた同僚、査読してくれた知らない誰か、批判してくれた友人、雑談してくれた学生。彼らとの一回一回のやり取りが、あなたの研究と、研究者としての姿勢を少しずつ形づくっていきます。

だから、関わり方の作法が効いてきます。好きになれない相手や、噛み合わない相手も必ず出てきます。それでも、相手を尊重する構えを崩さないこと。陰で悪く言わないこと。批判するときも、人格ではなく研究の中身を対象にすること。これらは、コミュニティを長く健全に保つために誰にでもできる、一番小さな貢献です。

専門を深めることと、社会に開かれていることも対立しません。むしろ、深い専門性を持つ人ほど、他者や社会と対話する責任と機会が増えます。社会と研究のつながりで書いたように、市民講座で話したあとに自分の言葉遣いの傲慢さに気づく、といったことが実際に起きます。社会との関わりは研究の足を引っ張るどころか、自分の研究の解像度を上げてくれます。

研究者である前に、一人の人間である

最後に、どうしても伝えておきたいことがあります。あなたは研究者である前に、一人の人間です。家族がいて、友人がいて、趣味があって、身体の調子があって、心の揺らぎがある。その全部を抱えたうえでの、研究者です。

研究で成果を出すことと、一人の人間として幸せであることは、対立しません。むしろ、人として豊かに暮らしている研究者のほうが、長い時間軸で見ると質の高い仕事をしていると、僕は感じています。睡眠、食事、運動を軽んじると、必ずどこかで返ってきます。三十代までは無茶が利くのに、四十代に入ると同じ無茶ができなくなる。若いうちから自分の身体の使い方の作法を整えておくのは、研究を犠牲にする話ではなく、質の高い仕事を長く続けるための投資です。

研究室の外に、自分が「ただの自分」でいられる場所を必ず確保しておいてください。研究がうまくいかない時期には、その場所があなたを救ってくれます。うまくいっている時期にも、その場所があなたを謙虚でいさせてくれます。

研究は人生を豊かにする手段の一つであって、人生そのものではありません。 本末転倒になっていないか、時々確認してください。研究が人生を支配し始めたなと感じたら、立ち止まって距離を取る。それは怠けではなく、長く研究者でいるための、最も誠実な選択です。

あなた自身の色で

研究者として生きるとは、問いを手放さず、失敗を引き受け、誰かと関わりながら、それでも自分のペースで歩き続けることだと思います。派手な成功譚である必要はありません。地味でも、あなた自身の色で続けていける歩み方があれば、それで十分です。

そして、研究者としてのあなたの人生は、あなた自身のものです。この本に書ききれなかった、あなただけの選択と迷いと工夫のなかで、あなたの研究者像は形づくられていきます。ここに書かれた言葉は参考の一つでしかなく、最終的にその形を決めるのは、あなた自身の手です。